これに対して、ある人たちは試練の中にある時、真剣に人生の意味を考えます。例えば、今まで肉体的な楽しみばかりを求めていた人が試練にあった時、肉体の限界がわかって霊魂の救いを考えるようになります。そして自分の弱さを認めて神様のおん助けを祈ります。このような人にとって試練は大きなプラスになります。
また神様を信じ愛する人たちは、試練の中に価値があるとわかっているので、試練に対して積極的な態度をとります。つまり、試練を耐え忍ばなければならない時、犠牲を捧げる良い機会であることがわかっています。
キリスト様が私たちの罪を償い、私たちを救うために大きな苦しみを耐え忍んで、十字架上でお亡くなりになったように、私たちも苦しみを犠牲として神様に捧げることによって、人々の救いの助けになります。そして、苦しみを犠牲として捧げる人は試練を耐え忍ぶことによって、「自分の苦しみは人々のためになる」と考え、試練の中にあっても一つの喜びを感じます。
この意味で、神様を愛する人にとって、試練を含めて、人生に起こるすべてのことはプラスになります。
聖書にも「神を愛する人、すなわち、ご計画に従って神に召された人々のために益となるように、すべてが互いに働き合うことを、わたしたちは知っています」(ローマ8・28)と書いてあります。