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人生は学び

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

アルゼンチンのブエノスアイレスからチリのサンチャゴに向かい小さな飛行機に乗り、暫く牧草地帯を飛ぶと、今度は砂漠になりました。給油の為にちょっと降りる時は砂嵐になっていて、大丈夫かなあと心配しながら、怪しい小さな飛行場に突入しました。着陸した時の安心感は何とも言えない幸福感でした。このフライトは1970年代ですが、1960年代には海外で飛行機事故に遭遇しているので、この時も心が休まりません。当時の私は仕事とはいえ、よくもまあ、あのような危険な暴動多発地帯に平気で出かけたものだと、ぞーっとします。

30代は頭がいつもかっかとして熱く、人生は学びだなどと考えた事もなく冷静に言えるのは最近です。ひたすら自分の仕事に専念し、スリル満点の仕事を楽しんでいました。苦しい時は神様に祈り、上手く流れると、あたかも自分の力かのように自信満々に言動していたようです。仕事で大失敗し、周囲から嘲笑され、その傲慢をたたかれ、自信喪失し、何回も職場放棄のような数日も体験しました。

喜怒哀楽の激しさは嵐のようで、よくもまあ、30代40代を無事に生き抜けたものだと今更ながら冷や汗が流れますが、今は「人生は学び」だ、などと言いながら幸せな日々を送っています。今の私のこの人生が何とも楽しく、幸せなのは何故なのか?自問自答しています。

その原因は森羅万象の解釈が楽天的だからかなあ、と最近思います。或いは鈍感なのかもしれません。全知全能で愛そのものである神様が、この不可解な森羅万象の背景に存在しておられると思うと、飛行機事故の現場のように、この世は地獄かと感じていても、最後は何故か森羅万象の中に生き甲斐を感じてしまうのです。

厳しい我が人生はまさに学びの場でした。