弟夫婦には男の子と女の子の双子の子供がいた。彼らは歩けるようになると、私の部屋によく遊びにきた。私は金曜日の3時になると自室で十字架の道行をしていた。めざとく見つけた2人は十字架の道行に参加してきた。子どもにわかるのかなと思っていたが、2人は各留の物語を自分たちなりに理解すると、金曜日とは限らずにやってきて、自分たちの言葉で「十字架の道行」をするようになった。
第4留で、母マリアとイエスの出会いの場に来ると「マリアちゃまが、おかわいそうです」と言った。第7留では、「イエッちゃまが、また、おたおれになりました。エーン、エーン」と2人して声を合わせ、泣きながらバーンと床に倒れた。第12留で、十字架上でイエスが死去なさった場に来ると、踏み台をもってきてそばにいき、一人はポケットから傷薬を出して、茨の冠をかぶせられたイエスの頭部、両手、両足、脇腹のおん傷にぬり、もう一人は絆創膏を出して、両手、両足、脇腹に貼った。回を重ねるごとに、彼らが手当てをするので絆創膏は分厚くなっていった。
私はイエスが茨の冠をかぶせられ、十字架に両手両足を釘付けにされたこと、脇腹を槍で突かれたことはわかっていたつもりだった。しかしながら、私は無感覚な信心業をしていたのだ。幼子ってすごいなと思った。