キリスト教と再び出会ったのは、大学3年生のときだった。心筋梗塞で父が急逝し、ショックの中で自分の人生を問い直していたとき、カトリックの神父が書いた一冊の本と出会った。「どんな状況で生きていても、すべての人が大切な神様の子ども。命の重さに変わりはない」と書かれたその本を読んだとき、私は「ああ、これは子どものころから感じていることと同じだ」と思った。この本を書いた神父に会いたいと思った私は、東京で彼がしていた聖書講座に通い始め、そこで洗礼を受けることになった。
キリスト教との出会いは、とりもなおさず神の愛との出会いだ。神の愛と出会わなければ、三位一体などの不可解な教えを説くキリスト教に心を惹かれる人はいないだろう。
人は、キリスト教と出会ってキリスト教徒になるのではなく、神の愛と出会ってキリスト教徒になるのだ。