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キリスト教との出会い

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

埼玉県の農村部で、仏壇と神棚があるごく普通の日本の家庭に生まれた私は、キリスト教とほとんど無縁に育った。そんな私が最初にキリスト教と出会ったのは、テレビを通してだったと思う。

私が10歳のころ、テレビ番組の中で1人のヨーロッパ人の女性が紹介された。ヨーロッパの恵まれた家庭に生まれながら、すべてを捨ててインドに旅立ち、貧しい人々のために生涯を捧げたマザー・テレサだった。貧しい人々の口元にスプーン一杯の食べ物を運ぶ彼女の姿がテレビに映ったとき、私はその気高い美しさに打たれた。ブラウン管を通して、彼女の姿が輝いているように見えたのをはっきり覚えている。そのとき、私は彼女がキリスト教徒だと知らなかった。だが、彼女の姿を通して、苦しんでいる人々のために自分のすべてを捧げ尽くす愛、清らかな光を放つ神の愛と出会ったことは間違いがない。

キリスト教と再び出会ったのは、大学3年生のときだった。心筋梗塞で父が急逝し、ショックの中で自分の人生を問い直していたとき、カトリックの神父が書いた一冊の本と出会った。「どんな状況で生きていても、すべての人が大切な神様の子ども。命の重さに変わりはない」と書かれたその本を読んだとき、私は「ああ、これは子どものころから感じていることと同じだ」と思った。この本を書いた神父に会いたいと思った私は、東京で彼がしていた聖書講座に通い始め、そこで洗礼を受けることになった。

キリスト教との出会いは、とりもなおさず神の愛との出会いだ。神の愛と出会わなければ、三位一体などの不可解な教えを説くキリスト教に心を惹かれる人はいないだろう。

人は、キリスト教と出会ってキリスト教徒になるのではなく、神の愛と出会ってキリスト教徒になるのだ。