今思うに、私たちを洗礼へとひきつけた理由を強いて言えば、洗礼を授けてくれた宣教師の個人的な魅力というよりも、世界各国からはるばるこの国にキリスト教を宣べ伝えにやってきた宣教師たちの「宣教師魂」ではなかったかと思う。
卒業するときには180名のうち70名ほどが洗礼を受けていた。そして、それは私の学校だけの現象ではなく、ほかのミッションスクールでも似たような状態であった。都会の教会には若者が溢れていたのである。ヴァチカン公会議の前、まだミサはラテン語で唱えられていた時代のことである。
ところが、私たち団塊の世代が高校を卒業したあと、つまり1970年代に入ってミッションスクールの高校生たちの洗礼はぴたっととまり、一緒に洗礼を受けた同級生たちも次々と教会から離れていった。これもなぜと問われてもどうしてか答えられない。その学校の教育方針が変わったわけでもない。
私は違った。ヴァチカン公会議以降の新しい教会に魅力を感じて、私は教会に残った。
いま、高校の同窓生に会うと「いったいあれはなんだったのだろうか」って問うことにしている。すると「なんだったのでしょうね」と同じ問いかけが返ってくるだけなのがさびしい。