クリスマスの夜、神父様の御ミサに与り、初めてご挨拶をしました。その聖夜は、忘れられないものでした。
隠れキリシタン弾圧の壮絶な歴史を背景に、五島のカトリック教徒の方たちは、日々の生活のなかに自然に信仰を織り込んでおられる印象がありました。信徒の子どもたちは日曜に普通に教会に行き、クリスマスの夜には学校の制服を着て、村々にある教会に歩いて行きます。
ミサが始まると、真後ろの席で、それまでバリバリの長崎弁で近所の人たちと世間話をしていたおじいちゃんが、大きな声で聖歌を歌いはじめました。それが、実に見事な調子っぱずれなのです。おじいちゃんは恥ずかしがりもためらいもせず、最後まで調子っぱずれのまま歌い上げ、長崎のアクセントで祈りを唱え、信仰告白をしました。
美しい、と思いました。いつも神様を傍に感じ、気負わずに調子っぱずれに呼びかけることができる。神様は、ちゃんと聞いておられる。その感覚が信仰というものなのでしょう。
今年もクリスマスがきます。お互いに良き発見がありますように。