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クリスマスのおとずれ

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

12月になると、教会の掲示板に「教会で本物のクリスマスを!」と書かれたポスターが貼られる。「本物のクリスマス」とは一体なんだろう。わたしが、「これは本物だ」と思ったクリスマスを一つご紹介したい。

司祭になって3年目のクリスマスに、わたしはフィリピン、ルソン島北部の山岳地帯にあるナトニンという小さな村に派遣された。その周辺にある8つの村の教会を世話している司祭の手伝いをするためだ。クリスマス前後の数日のあいだに、その司祭と手分けしてすべての教会を周り、ミサを立てるのがわたしの使命だった。

ある日、村の司祭から「今日は一緒に行こう」と誘われた。車で2時間、そこからさらに山道を歩いて4時間のところにある教会をぜひわたしにも見せたいというのだ。彼自身、その村を訪れるのは3カ月ぶりだという。早朝に出発したが、舗装されていないでこぼこの泥道を四輪駆動車に揺られて走り、草をかき分けながら道なき道を歩いて、ようやくその村に着いたときにはもう昼過ぎだった。

丘の上に建てられた木造の質素な教会にわたしたちが近づくと、教会の鐘が高らかに打ち鳴らされ、村の人々が教会に集まってきた。真っ白な祭服を着たわたしたちをじっと見つめる村人たちの目は、大人も子どもも、生き生きとした喜びで輝いていた。彼らにとって、わたしたち司祭はイエス・キリストの誕生を告げる使者であり、イエス・キリストそのものにさえ見えたのかもしれない。

サンタクロースの代わりに、司祭がやって来るクリスマス。贅沢なごちそうではなく、イエス・キリストを囲んで食卓につくクリスマス。きらびやかなプレゼントの代わりに、神様の愛が届けられるクリスマス。それこそが、「本物のクリスマス」だろう。