この地球上に、人間中心の社会を作り、効率の良さを追求してきて、私たちはずいぶん思い上がってしまったようだ。不便や不快、不本意なことを我慢せず、他人に当たり散らす前に、待つ心の深さを知り、謙虚でありたいと思う。
12月になると、私の通っていた小学校では、アドベントカレンダーが作られて壁に貼られていた。クリスマスまでの日付が小窓になっていて、一日開けるごとにお祈りを捧げるのである。生徒が全員、熱心に祈ったわけでもなかったろうけれど、4週間をかけて、一日一日とクリスマスを待つ心は育てられたような気がする。
待つとは静かな仕事だ。何もしないでいるように見えながら、深いところで心を働かせている。人の世にあって、多くの場合、待つとは、苦しみや悲しみと共に過ごすことかもしれない。災害、病気、愛する人の死。それらがやがて、時間によって別の形に変わること、傷が癒やされていくことを信じる、それも待つという仕事だ。
見守っていて下さる大きな存在を知れば、小さな自分でも待ち続けることが出来る。そして、彼方に希望の明るい星を見つけることも、きっと。