雙葉に入るまでは、広い武蔵野で男女共学の小学校で、のびのびと過ごしていた私にとって、急に都心の、しかもミッションスクールは、なじめない風土でした。狭い校庭では物足りないで、階段を二段飛びに駆け降り、あげくの果て、大怪我をしでかした私は、多分、お行儀の悪い、お転婆として、ブラックリストに載っていたのかもしれません。
そんな私を案じて、母が校長宛の暑中見舞を書かせました。すると、高嶺校長から自筆の礼状が来て、そこには、礼とともに「和子さん、早く学校へ戻っていらっしゃい」と書いてあったのです。夏休み後の私は変わりました。
名前で呼び、一人ひとりの生徒を大切にすること、このことを体験したおかげで、やがて修道者となり、教職についた私は、生徒と接する教師のあるべき様について、ためらいはありませんでした。
その後、管理職を命ぜられ、今日に至っていますが、私の前にはいつも、ご自分が思いがけず校長、管区長等を命ぜられた際も、いつも「置かれた場所で咲いて」いらしたシスターのお姿が手本としてあります。