私は自分が不得意な事が出来る人、知らない事を知っている人、経験豊富な人、物事に良く気が付いて、先々迄予見できる人などはたとえ年齢は私よりずっと若かろうが、最近仲間になった新人であろうが、私にとって倣うべき人であり、先輩と呼びたい人と思っています。
福音書にはこんなエピソードが出てきます。"主の一行がカファルナウムに着いた時の事、イエスは弟子達に「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。彼らが答えずにいるとイエスは12人を呼び寄せて「一番先になりたい者は、全ての人の後になり、全ての人に仕える者になりなさい。」と言われた。"(マルコ9・33~36)
弟子たちは道々誰が偉いかを議論していて、それが良い話題でない事を自覚していたので、黙っていたのでしょう。
誰が先輩かより、自分が倣いたいと思う人と出会ったなら、心の中の先輩と、目標にして近づく努力をしましょう。聖人・福者の生涯に倣うように。