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先輩に倣う

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

私が音楽の指揮を学び始めた頃は、先生にみて頂く前に、先生の高弟である小澤征爾さんとか、秋山さんに教えてもらっていましたから、事実上の先輩後輩という形はあったかも知れません。

かもというのは、息子たちの世代はもっと先輩、後輩と言うからです。

先輩に倣うというとき、それが何の事かはっきり分かっていなくても、どうやらそうするとうまく行くらしいと納得し、また真似ていた訳です。

師である斉藤先生は、「形より入って、形より出でよ」とおっしゃっていたものです。一所懸命に習字の習、そして模倣の倣で音楽を学ぶ間に、もし私に才能があったなら、いつの間にか学んできた形からも抜け出た私に気付く、という日がくるかもしれません。

いや、是非そうあってほしいです。それが正しいあり方ですよね。

ところが、聖書にはこんな風に書いてあります。

イエスは12人の弟子たちに、「私に従ってきたあなた達は、イスラエルの12部族を治める事になる」とした上で、「私のために家、家族、一切を捨てた者は皆、永遠の命を受け継ぐ。しかし、先にいる者が後になり、後にいる者が先になる」と。(参:マタイ19・29~30)

えっ?えっ?まさか・・

うろたえながら次の章を読んでみますと、「ぶどう園の主人が取り入れのため働く人を雇いに行き、一日一デナリオで契約した。これを昼前後、また夕方の計四回行った。さて、賃金を払う時、主人はまず最後の人から一デナリオずつ払い、最初の方の人々にも同じようにしたので、かれらは不平を言った。

すると主人は、あなたは私と一デナリオで契約したではないか、と言った。このように、後の者が先になり、先の者が後になる」と。(同 20・1~16)

天の国ではもはや先輩も後輩も入り乱れるようですが。