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先輩に倣う

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

人の視線は、時には恐いものである。自分に自信がない時、気持が弱っている時など、他人から見られることがつらい。皆が自分を変で嫌な奴だと注目しているように思えてくる。実際には、そんなことはないのだけれど、そう思えてしまうほど、人間の視線は、人を傷つける道具にもなるのである。

だが、その反対に、人は視線で、言葉に表せない優しさや好意を伝えることが出来るのも、私たちはよく知っている。

昔のことになるが、作曲家と詩人が歌を作り、コンサートで披露する会に参加していたことがあった。いつもはコンサート会場にお見えにならない高齢の女性詩人が、その年は、珍しくおいでになった。すぐ親しいご友人方の輪ができ、楽しそうな会話が始まる。上品で優雅な方だったが、何より素敵なのは、お話をなさりながら、目の前の人々だけでなく、その後ろの方で聴いている一人ひとりにも視線を送り、優しく微笑みかけられることだった。

ただそれだけで、魔法のようにその場は幸福な空気になり、皆嬉しそうに、にこにこした。

駆け出しの新人だった私も、初めてお会いした大先輩が、目を合わせて、親しげに微笑んで下さったことがとても嬉しかった。不思議なほど、今でも忘れられない。その視線が「私はあなたの存在を認めていますよ。暖かく受け入れますよ」と言っていたからだろうと思っている。

創作する仕事の場合、先輩の作品に倣ってしまっては価値がない。誰とも違う自分の個性を発揮して、新しい時代を表現してこそ意味がある。でも、このような優しい先輩の心配りには、倣ってもいいように思うのである。

この方は、当時80歳を越えていらしただろうか、「夏の思い出」、「花の街」の作詞者、江間章子さんだった。