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一致を願う

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

私の心が急速に萎み、何とも寂しく、生き甲斐を感じない時があります。それは大事な人に嫌われた時の孤独な瞬間です。嫌われる理由は、何故か正確には理解されないのですが、人生での大切な人や平素、親しくお付き合いしている人に愛想を尽かされた時とか、仕事が上手くいかない時、私は暖かく愛に満ちた心の一致を願います。

理由が何であれ人は嫌われる現象に弱いようです。そんな時、自信喪失から自分の異常な孤独感に気づけば、元気になるチャンスはあるのですが、大抵の人は暫くこの嫌な状態から抜け出せません。

 

さて、ここに大きな問題が一つあります。それは自分を孤独に追い込むその孤独感が、良心の呵責とか、罪の意識が背景にあるときは、少々根が深く、心理療法はあまり役にたちません。自分の欠点や罪深さを反省するのは良い事ですが、その分析方法を間違いますと、どんな頑強な人間でも心が破壊していきます。

私は高校生の頃、洗礼を受けました。今日に至る数十年間、自分の愚かさには本当に呆れ果てていますが、ここで改めて感謝していますのが、良心の呵責の取り扱い方法を教えてくれたカトリックの信仰です。己の愚かさや罪深さの問題を信仰は見事に解決してくれました。死ぬまで罪深い存在ではあるのですが、この良心の呵責問題を、しっかりと受け止めて下さる愛の神様と出会い、信仰の世界で全知全能の神様と一致出来た安心感や平安感は私に生きる勇気と希望を与え続けてくれています。暖かい愛との一致を願う人間の心は、信仰の世界で十分に満たされます。

これからも挫折や不安感は生涯続くでしょうが、愛である神様に祈りながら明るく元気に生き続けたいと思います。