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一致を願う

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

人間関係で一致ができたら、どんなに幸せなことでしょう。

特に親子、兄弟、親族など身内の間柄では、とくにむつかしいと思います。

わたしは、10人兄弟の中で育ちましたが、大きな喧嘩はありませんでした。だからといって特別に仲がよかったわけでも、考え方や好き嫌いが一致していたわけでもありません。これは高嶺の花ともいうべき理想です。ですから、「皆さん、お互いに一致しましょう」と言われても、べき論のきれいごとに聞こえて、偽善的に思います。

わたしは説教家ですから、この点には神経を使います。学生に講義するときでも、理想論やべき論はほとんど説きません。ではどうするかというと、わたしはまず倫理的な事柄であろうと、宗教的なことであろうと、自分自身が日常で実践していることをもとにお話しします。

たとえば、今回の「一致を願う」というテーマでも、神との一致や人々との一致についてよく祈ります。しかし、多種多様な世の中にあって、一致を願うとしたら、「和して同ぜず」という諺をあげます。

人間は皆、違います。一人として同じ人はいません。神は人をそれぞれユニークな存在としてお造りになりました。ですから、お互い同じ人間になりましょうねというのは、不可能なことです。そうではなくて、お互い違いを受け入れて、あるがままで良しという考え方を持ち、その上で友情をもって語り合ううちに、同じような考え方をするようになります。それをわたしは、私のキリスト教講座のクラスでしばしば経験できました。そうすれば、次第にグループが大きくなっても、あるいはメンバーの意見や個性が異なっても、それらを受容しているので、皆くつろいで和するようになります。

これが本当の平和ではないでしょうか。