わたしは説教家ですから、この点には神経を使います。学生に講義するときでも、理想論やべき論はほとんど説きません。ではどうするかというと、わたしはまず倫理的な事柄であろうと、宗教的なことであろうと、自分自身が日常で実践していることをもとにお話しします。
たとえば、今回の「一致を願う」というテーマでも、神との一致や人々との一致についてよく祈ります。しかし、多種多様な世の中にあって、一致を願うとしたら、「和して同ぜず」という諺をあげます。
人間は皆、違います。一人として同じ人はいません。神は人をそれぞれユニークな存在としてお造りになりました。ですから、お互い同じ人間になりましょうねというのは、不可能なことです。そうではなくて、お互い違いを受け入れて、あるがままで良しという考え方を持ち、その上で友情をもって語り合ううちに、同じような考え方をするようになります。それをわたしは、私のキリスト教講座のクラスでしばしば経験できました。そうすれば、次第にグループが大きくなっても、あるいはメンバーの意見や個性が異なっても、それらを受容しているので、皆くつろいで和するようになります。
これが本当の平和ではないでしょうか。