しかし、その実現はなかなか難しく、むしろその逆の「不一致」や「自由気まま」がまかり通っています。とくに、民主主義社会、価値観が多様化している社会では、批判、論議は日常茶飯事で、結局、多数決できめるのが常道です。こんにち、この「一致」の欠如で、いかに紛争が起きているかは、毎日のニュースが如実に物語っています。
あらゆる所、経済、政治は、もちろん、宗教の世界でも、要求されている「一致」であります。
消え去らぬ広島・長崎の原爆被爆、東日本大震災と福島原発事故、これら未曾有の大惨事を経験した日本人は、ことさらこの世の平和と安全、安心を求め祈る心は、誰にも増して強く、その実現に努力を重ねています。
祈りは人間の最も崇高な姿、祈りによって、祈りのうちに、人々の心は、一致団結、平和実現へ、よりたくましく前進できると確信しております。
「求めよ、さらば、与えられん」(ルカ11・9) キリストも"絶えず祈れ"と諭しています。