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一致を願う

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

文字の中で一番易しいのは、漢字の「一」、数字の「1」です。いずれも実に簡単明瞭ですが、この「一」という漢字ほど意味深長なものはありません。

漢和辞典で真っ先に現われるのが、この「一」、その意味は、まず「ひとつ」、続いて「物事のはじめ」、「混じりけがない」「最もすぐれたこと」「最善」「最上」など、十以上の意味が出てきます。続いて出てくるその熟語の数はおびただしく実に辞典の5ページを埋め尽くしています。その中頃に出て来る「一致」という言葉は、誰もが知るところ。その意味は、「ひとつになる」「心を一つにする」こと。どちらも、「すぐれたこと」「最善」「最上」の喜ばしく、望ましいことです。

しかし、その実現はなかなか難しく、むしろその逆の「不一致」や「自由気まま」がまかり通っています。とくに、民主主義社会、価値観が多様化している社会では、批判、論議は日常茶飯事で、結局、多数決できめるのが常道です。こんにち、この「一致」の欠如で、いかに紛争が起きているかは、毎日のニュースが如実に物語っています。

あらゆる所、経済、政治は、もちろん、宗教の世界でも、要求されている「一致」であります。

消え去らぬ広島・長崎の原爆被爆、東日本大震災と福島原発事故、これら未曾有の大惨事を経験した日本人は、ことさらこの世の平和と安全、安心を求め祈る心は、誰にも増して強く、その実現に努力を重ねています。

祈りは人間の最も崇高な姿、祈りによって、祈りのうちに、人々の心は、一致団結、平和実現へ、よりたくましく前進できると確信しております。

「求めよ、さらば、与えられん」(ルカ11・9) キリストも"絶えず祈れ"と諭しています。