小学生になって「木はわたしのお友だち」、そんな詩を書いていましたっけ。
クチナシの大ぶりの木の花は、まっ白な大きな花をつけ、その甘い匂いを、ちょっともて余していたのも憶えています。
うちではひとり遊びをする子どもでしたから、木はいつもわたしに寄り添ってくれて、愉しげに風にそよぎ歌ってくれました。耳に聞こえなくとも木の歌を聴き、誰もいないときに好きな枝に登って木をひとり占めにしたり。
それでもやっぱり友達がきて「良い枝を占領されても」みんなでワイワイ遊ぶのがうれしかったのです。
そのような「木」との親密なふれあいも、いつのまにか遠くなりました。
それでも学生時代には山に登り、森や野を歩きまわって、自然のまっ只中にいるのが好きではありましたけれど。
さて、人生も折り返し地点を過ぎる頃、ふと気づくと、ロザリオの祈りや、特別な想いを以て祈るときに、木の下で、木の回りを歩きながら、祈る習慣ができてしまいました。「マリアさまの木」、「幼いイエスさまの木」「○○神父さまの木」など。
わたし達を囲む自然のなかにも、隠れた小さな聖堂ってたくさんあるのでしょうね。
あなたの秘密のかくれ家、お祈りの場所をいつかそっと教えてください・・・。