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自然に親しむ

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

 うちの裏庭にあった栗の木。樫の木。銀杏の木。

 なぜか小さい頃から「木」が好きでした。

 中庭のまん中にあった大きな銀杏の木には、近所の子ども達が集まって、しっかり枝の張ったところを陣地にしてあらそって登りました。太い枝はとても座り心地がよかったのです。でもひとりっ子のわたしは、お姉さんお兄さんのいる友達に上の方を占領されて、いちばん下の目立たない枝に腰かけて、上で騒いでいるのを見あげていたものです。

 小学生になって「木はわたしのお友だち」、そんな詩を書いていましたっけ。

 クチナシの大ぶりの木の花は、まっ白な大きな花をつけ、その甘い匂いを、ちょっともて余していたのも憶えています。

 うちではひとり遊びをする子どもでしたから、木はいつもわたしに寄り添ってくれて、愉しげに風にそよぎ歌ってくれました。耳に聞こえなくとも木の歌を聴き、誰もいないときに好きな枝に登って木をひとり占めにしたり。

 それでもやっぱり友達がきて「良い枝を占領されても」みんなでワイワイ遊ぶのがうれしかったのです。

 そのような「木」との親密なふれあいも、いつのまにか遠くなりました。

 それでも学生時代には山に登り、森や野を歩きまわって、自然のまっ只中にいるのが好きではありましたけれど。

 さて、人生も折り返し地点を過ぎる頃、ふと気づくと、ロザリオの祈りや、特別な想いを以て祈るときに、木の下で、木の回りを歩きながら、祈る習慣ができてしまいました。「マリアさまの木」、「幼いイエスさまの木」「○○神父さまの木」など。

 わたし達を囲む自然のなかにも、隠れた小さな聖堂ってたくさんあるのでしょうね。

 あなたの秘密のかくれ家、お祈りの場所をいつかそっと教えてください・・・。