聴診器を大きな木の幹に当てて、しずかに耳を澄ませていると、根から水を吸い上げる木の声が聞こえる、はずだった。残念ながら少々風が強く、木の声はほとんど聞こえなかった。それどころか、生徒の数に比べて、聴診器がたった一つしかなく、ほとんどの生徒が咲いている花を眺めたり、緑の丘を眺めながらおしゃべりしたりと、思い思いに自然に親しみ、春の一日を楽しんでいた。
次の日、私は校長先生に呼ばれ、お叱りを受けた。「神父さん、授業中に生徒たちを外で遊ばせては困ります。しっかり授業をやってください。」自然に親しむ授業はなかなか難しいものだと思った。
自然はいろんな姿を通して、私たちに語りかける。今から10年前の夏、子どもの頃からの憧れであった、スイス・アルプスに出かけた。登山電車に揺られて着いたユングフラウ・ヨッホの展望台から見回すと、目の前に大きな氷河が横たわっていた。あまりのスケールの壮大さにただただ驚くばかりだった。ふと見ると、プレートが掲げてあった。そこには聖書の言葉として、「全能者にして主なる神よ、あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります」と日本語で書かれていた。
自然は私たちをいやし、生命力を鼓舞し、喜びを与えてくれる。時に、壮大な姿を通して、驚きと畏敬の念も呼び起こしてくれる。自然に親しむひと時、それは、神さまと触れるひと時なのかもしれない。