私達は家族の中や学校や職場などお互いに見知っていて、気持ちをわかりあえる間柄であれば自然に親切に出来、情愛や敬愛を込めた行動を実践出来ます。ところがイエスが話された追いはぎに襲われた人と、通りがかりのサマリア人は全く見ず知らずの他人です。そればかりか普段は交流のない、差別される関係の人同士だったのです。
マタイの福音書5章44節には「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」という重いみ言葉があります。やはり究極の愛を目指すなら、敵対する人に対しても、惜しみない愛情をそそぎ許すことの出来る、大きな心と勇気を持って博愛を実践することであり、神様は人類にそれを望んでいらっしゃるのだと思います。