言うまでもなく、住んでいる建物も自分一人だけで建てたわけではないし、食べている食品も自分一人で育てたものではない。さらに、着ている服だって、自分一人で作ったものではない。
一人一人が集まって一緒に生きている社会というものは、私だけではなく、誰かのためにも働き、誰かのことも考え、誰かのためにも尽くすことを前提としている。
どこかで聞いた話だが、北極圏に住むイヌイットの人たちは、厳しい自然の中で、支え合って、助け合って生きている。子どもたちに競争をさせて「一番最初に問題を解いた人にはごほうびをあげます」と先生が言うと、一番最初に問題が解けた子どもは、まだ解けていない子どもに解き方を教え、全員そろって「できました」と手を挙げるそうである。厳しい自然の中では、一人だけ抜け駆けはできない。
社会の中で生きるとは、お互いに助け合い、支え合って生きることが暗黙のうちに求められている。お互いの思いやりや愛の実践なしには社会生活は成立しない、と私は思う。
ヨハネは、次のように私たちに勧めている。
「目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。」(Ⅰヨハネ4・20〜21)