「よかことはなかじゃん、おっが集めちょったコケシ人形も、グリコのおまけもみんな焼けてしもうたとじゃもん」と口をとがらせて抗議の口調でいうと「なんの、なんの、物はさ、焼けたりいつかはのうなるとよ。そん代わり、物はまた買えるけんね。命は買われけんね」と、おだやかに諭すように父母はいった。
そのあと、父母は続けて、「神さまに感謝せんばよ。大難ば小難にしてもろうたとじゃけんね、本当なら、こげんな大火事じゃけん死人やけが人が出てもおかしなかとよ。それがさ、火が鎮まってみれば、みんな無事。それこそ、神さまのお恵みたいね」といった。
16歳の時にきいたこのことばが、その後50年間も私を支えてくれたのである。
何があっても、どこかに希望をみつけ、「大難を小難にしていただいた」と思うのである。東日本大震災の時にも、このような感じのことばをきいた。まず自分や家族の命が助かったことへの感謝、家族が亡くなったが遺体がみつかったことへの感謝、みつからない人は「いつまでも元気だった頃の姿を思い出にします」と嘆き悲しむこともなく耐えて、そして希望を見出し感謝の言葉をのべるのだ った。
そうだ、人間の心は強いのだ、いつだってどこかに希望をもって、その希望に感謝する心の余裕があるのだとつくづく教えられた。
それでも感謝することは尊いと思う。