この物語は、私たちと無縁ではありません。心を澄ませば、私たちも日常生活の中で、神様の呼びかけである「星」を見出すことができます。さまざまな、嬉しい、あるいは悲しい出来事、人から受けるゆるし、優しさ、心を打つ聖書のみ言葉など、挙げれば際限のないほどの「星」が、私たちを救い主のもとに導くでしょう。
聖母とご一緒に、愛らしいイエス様をみつめるとき、み子を賜うほど世を愛された父である神様への深い信頼と委ねに導かれます。そこで、弱く、惨めな私たちは、幼子をとおして、御父の限りない憐れみに包まれ、希望に強められて、新たな一歩を踏み出すのです。
ヨハネは手紙の中で、「私たちが神を愛したからではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪のためにあがないの供え物として、み子を遣わされました。ここに神の愛があるのです」(第一の手紙4・10)と書いています。
幼子イエスと十字架のイエスを切り離すことはできません。神様は私たちを、聖母がおそばに立っておられる十字架のもとに導き、呼びかけに答えるのを待っておられます。どのような時にも、聖霊の光の中で、「私は神様の私への愛を知り信じています」(第一の手紙4・16)と答えることができるように!イエス様の死から、復活の命が輝き出たのですから。