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母の後ろ姿

末盛 千枝子

今日の心の糧イメージ

 このところ、自分でも驚くのですが、何か、特別なことがあると「お母さんに電話して話さなきゃ」と思うのです。母はもう3年前に亡くなっているのですが、なにかがあるとやはり、母に知らせて聞いてもらわなければ、とか、この話は聞かせたいと思うのです。母ならこのことを喜んでくれると思うのです。要するに、結局は母が一番の理解者だったということでしょうか。小さい子と同じように、母に聞いてもらって安心するということでしょうか。

 思春期の頃には、何かと母に反抗していたこともありましたが、自分がもう老人の仲間に入ってきたいま、あの頃の母の気持ちがよく解る、なんだこういうことだったのか、と思い当たることが多いのです。私もそうでしたが、往々にして、若い娘は同性だからでしょうか、母親に対して厳しい見方をすることが多いような気がします。でも、いまは自分が同じようなことをしていて、息子達に呆れられているのです。口に出して言いはしませんが、「あなた達も年をとったら、解るわよ」と言いたいのが山々です。

 そして、思うのはむかし戦争の時に、日本の兵隊さんが「おかあさ〜ん!」と叫んで死んでいく人が多かったとよく言われることです。若い時には、ただそんなものかなと思っていたのです。でも、少し前に夫が亡くなったのですが、最後はだいぶいろいろなことがわからなくなっていて、いつの頃からか、私と自分の母親とを混同しているのに気がつきました。最初は、何十年も前に死んだ母親を「ママはまだ帰らないの?」と聞くだけでしたが、次第に、そばにいる私を母親と思っているらしいと気がつきました。不思議なことですが、これはとても有り難く嬉しいことでした。