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母の後ろ姿

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 幼い子供達の心配ごとから、高齢者施設での、あの世への旅立ちまで、私は実に沢山の話を聴きながら生きてきました。後ろ姿が泣いている母、怒っている母、様々です。言葉が無く顔の表情が見えないだけに、人の後ろ姿はその感情を実に正直に表現しています。

 幼児虐待を体験したAさんは60代になっても似たような人の後ろ姿を見ると咄嗟に道を変えるそうです。母の後ろ姿を思い出して幸福感を感じる人の場合は幸せですが、後ろ姿を思い出して錯乱する人は、これからどうしたらいいのでしょうか?大脳にインプットされた場面とそこから生じてくる感情は生涯、忘れられませんので、その解釈をいつか変える状況が訪れる事を祈るばかりです。

 例えば何故、母は自分を虐待したのだろうと解釈を変える心の余裕が出てきますと、その1人の女性が何故自分の子供を虐待したのか、その切ない人生が見えてきます。更に自分と同じように虐待されている子供を何とか救済しようと思うようになると、その人の心には聖母マリア様のような優しい眼差しと深い愛情が生まれてきます。自分のような悲劇が二度とおきないようにするには、どうしたらいいのだろう、と常々思索しつつ、介護の仕事に励む人々を私は沢山知っています。

 恨みつらみの感情を強烈に持てば持つほど、その人は自分の人生を破滅していくようです。悲劇的な自分の成育史を、どう解釈するかで、その哀しい人生が逆に人への深い愛情の世界へと変身させ、ご本人が実に豊かな人生を送った、という話も沢山あります。考え方を変えると世界が変わり、自分の成育史の解釈を変えると、また愛の世界へと変身していきます。この人間の神秘を大事にしたいと思います。