その違いが何故、生まれてくるのかを考えてみました。仕事が順調に流れ幸せな時、私は心の修行をしていないようですし、上手くいかないと、聖書、特にヨブ記を読んだりして右往左往しています。平素、心の修行をしていないと、いざという時、私はいつも慌てふためいています。つまり豊かな心を養う努力をしていないのです。
人にはそれぞれ理想があり、現実はいつも厳しく、理想と現実のギャップから生まれてくるストレスの処理方法を知らないと、いつのまにか人は心が貧しくなっていきます。私の心が貧しい時は不安感、怒り、鬱、錯乱が心を占領していますが、豊かな時は平安感、友好的な感情、幸福感、統御感が心に満ち溢れています。
さて、これからも私は豊かな心を養おうと努力するつもりですが、多分、人生を終わるまで、上手く修行出来ないと思います。「人の身体は神の神殿」と言われていますので、私の身体に住む愛である神様を信頼して、何とか豊かな心を養えるよう祈り続けていこうと思います。