キリスト教の教典である聖書、とくに四つの福音書は、その多くのページをさいて、ナザレのイエスが33歳頃、ユダヤ教の指導者であった祭司や律法学者、ファリサイ派らの嫉妬を買い、ローマ総督により十字架の死刑を受けて、エルサレムのカルワリオの丘で死なれた様子を記録しています。これは歴史的事実ですから疑いようがありません。
しかしながら、イエスが、神の御子で、人類の救い主であることを証明するために、三日目に復活されたという出来事は、当時の弟子たちでさえ信じることができなかったと福音書に書かれています。
栄光の身体でありながらも、生前のイエスとまったく同じ身体をもったイエス・キリストの出現は認めがたかったのです。愛弟子たちとは一緒に食事もしました。弟子の一人トマスには、手や脇腹を見せて、信じない者ではなく信じる者になりなさいと諭されました。
こう見てきますと、復活とは、わたしたち一人ひとりが、肉体は滅んでも、世の終わりに、栄光の霊的身体に甦る出来事であり、信仰と祈りと愛に生きた人は、死んだ後、天国に行くだけでなく、この宇宙世界の終わりの時に、キリストのように復活するということでしょう。
結局は、その真実を信仰するかどうかですが、自力で信じることはできません。神の恵みと助けが要ります。それを祈りましょう。