そうなれば、人として成長してゆく時代を、大人、友達などとのコミュニケーションを全く経験せずに通ってしまうという、大変な事態が生じています。
私も自分を振り返ってみますと、なぜ私が今の私以上に人との付き合いがよく、思いやりがあって、有無を言わせない素晴らしい人になっていないのか、やはり家庭での両親との生活が少なかった事情からと言え、決して私のせいではないのであります!
当時私は、音楽の練習で、外で同級生と遊ぶこともまれでした。それなのに、この数日前にはクラス会で盛り上がり、更にその数日前には私が指揮するコンサートにみんなで来てくれたのです。いつもの事ですが、感謝と感動です。
これも私の身に備わった人徳でしょうかねー?
さて、ここで聖書の言葉に耳を傾けますと、涙の内に種を蒔く人が、豊かに刈入れする喩(詩編126・5〜6)とか、主イエスのおっしゃる「心の貧しいあなたは幸せである、あなたは天の国で大きな報いを得る」(マタイ5・3)とあります。
心の貧しさというと、印象が悪いですが、何も持たない小さな子のように、ひたすら主により頼むほか無い姿と言え、主はその人を放ってはおかないのです。
このように、私は心豊かになろうと努力しつつ、同時に心の貧しさを併せ持つようでありたいです。