社会の風潮なのか、元来、そういう人間の性質なのか、とにかく人々は目まぐるしく動き、働く。交差点の信号を渡る人たちを見ていても、忙しさがにじみ出ている。
忙しさの中で、日々の生活に埋没してしまい、周りが見えにくくなっている状況で、果たして豊かな心は養えるのだろうか、とふと思ってしまう。
イエスは私たちに告げる。
「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」(マタイ6・26)
「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。」(マタイ6・28〜30)
豊かな心を養っていくためにも、日常生活のスピードを少し緩めて、周りをゆっくり眺めることから始めてみたいと思う。自分自身の時計を横に置いて、別の時の流れや計らいがあることに気づいてみたい。そこに、豊かな心を養うための扉があると信じて。