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仕事と私

末盛 千枝子

今日の心の糧イメージ

 必ずしも仕事と思っているわけではないのですが、この「心のともしび」の原稿を書かせていただくことは、私にとっては、とても有り難いことです。なぜなら、自分が出会って、なかなか難しいと思っていることを、どうやって乗り越えようかとか、どのように考えたら良いだろうかということを考えるとても良い機会を与えられていると思うからです。

 人はだれでもそれぞれが自分には難しいと思う問題を宿題のように与えられていて、日夜それと戦っているような気がします。そして、最近私が思うのは、それはきっと、なぜか自分に与えられている環境だとか、才能だとか、性格だとかをそれに見合って相応しく考え、それを使って生きていくようにと言われているのではないかということです。ですから、いま私は、「仕事と私」と言うと、自分に与えられていることを、まわりの人たちと分かち合うということではないかと思うようになったのです。

 これを書きながらはっと気がついたのですが、これはつまりは、聖書にある、「まず神の国と神の義とを求めよ。そうすればすべてのものは、それに加えて与えられる。一日の労苦は一日で足りる」(参 マタイ6・33〜34)というあの有名な言葉、そのままではないかということです。働くとか、仕事をするとかいうことは、つまりはこのことではなかったかと思うのです。だとすれば、私たちは、ほんとうに難しい局面にあっても、目の前にある困難が、とても難しそうであっても、まず与えられた仕事をすることによって、自分の問題はやがて自ずと解決されるということでしょうか。それが自分が一番に望んでいた解決ではなかったとしても、です。そして、きっと、この方が良かったと思うに違いありません。