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年の瀬に想う

シスター 菊地 多嘉子

今日の心の糧イメージ

 毎年、大晦日の夜には修道院の共同体が聖堂に集まり、過ぎ行く一年を振り返りながら、祈りに思いを託して静寂のひとときを過ごします。

 さまざまな出来事が脳裏をよぎる中で、鮮やかに記憶に蘇るのが、辛く悲しい出来事なのは当然でしょう。親しい人との死別に涙を流しながらも、そこに慈悲深い神様の計らいを見出だして慰められた日々。周囲の人たちをはじめ、かかわった人々から受けた思いやりの数々。その一つひとつを通して神様の優しさに触れることができたのでした。

 でも、これほど恵まれながら、十分に応えられなかった自分を悔いるとき、詩編の祈りが唇にのぼります。

 「いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。あなたは救いの喜びをもって、私を囲んでくださる方」(32・1と7)

 私は何よりも、一年の間に起こったすべて、わけても私自身の弱さをとおして働かれた神様を賛美し、慈しみに感謝すべきでした。

 私の振り返りが自己中心的な堂々巡りから解放されて、神様に視点を置くのを助けたのは、使徒パウロの勧めです。

 「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピ4・4〜7)

 ここでパウロがいう「神の平和」を、ある聖書学者は「神ご自身がもつ平和、神の永遠性に由来する静寂さ」であると言っています。

 「私たちはこの静けさの中に入れられて、喜ぶことができる」と。