

夕方5時30分、「カラン、カラーン」という鐘の合図とともに、それまで教会の庭で遊んでいた子供たちが、ガヤガヤと教会に駆け込み、ロザリオの祈りが始まります。
10月になると懐かしく思い出される田舎の小さな教会でのロザリオの月の風景です。ほとんどの家庭が農家で、10月は農作物の収穫の時でもあり、夕方、教会に集まるのは子供たちと高齢の方々でした。
子供たちは早く祈りを終わらせようと早口で「聖母マリアへの祈り」を唱えるけれども、高齢の方々の独特な言い回しに制される、そんな攻防が繰り広げられながらも何となく祈りが調和し、最後にアカペラでみんなで元気にマリア様の歌を歌って終わっていました。
子供のころは、聖母マリアへの祈りを連続して唱えることで「バラの花冠を編み上げる」というよりも、祈りを「数え」ながら、あと何回唱えたら終わるかという思いで祈っていましたが、高齢の方々が手に持つ使い込まれたロザリオに、ある種の憧れを抱いていたのも覚えています。
そして、ロザリオの祈りが終わるころには陽も傾き、親たちが畑から戻る道すがら、聖堂の入口の扉の前で今日一日の感謝を込めて、静かに手を合わせ、お辞儀をし、家路についていた姿には、子供心にも本当に神様がここに居るんだということを強く感じ、教会が特別な場所であるということを学んでいました。
教会で共に捧げるロザリオの祈りと、聖堂の扉の前に静かに佇み、今日の日の感謝を捧げる祈り。それらが一つに編み合わさってバラの花冠となり、マリア様のもとに届けられていたのではないかと思います。
そして、こうした日々の祈りが信仰のあかしになっていたのだろうと思うのです。