

よく知られているイエスの奇跡に、五つのパンと二匹の魚を天の御父に感謝して祈ると五千人が満腹した、という出来事があります。
翌日、人々はまた追いかけてきました。
イエスは前日、飼い主のいない羊のような哀れな姿に激しく心を動かされて「いろいろと教え」ましたが、夕暮れになったのでパンを増やしました。(参 マルコ 6・30~44)でも、本当はそれ以上のものを与えたかったのです。
食べてしまえばなくなるパンではなく「いつまでもなくならずに、永遠の命に至らせる食べ物」を与えたいのです。「わたしが命のパンである。わたしの所に来る者は、決して飢えることがなく、わたしを信じる者は、もはや決して渇くことがない」。
また、「わたしは天から降ってきた生けるパンである。このパンを食べる人は永遠に生きる」とおっしゃいました。(参 ヨハネ 6・22~59)
しかし、彼らは空腹を満たすパンのことしか考えていません。お終いには「この人はどうして自分の肉をわたしたちに食べさせることができようか」と怒り出しました。ところがこれは現実となるのです。
十字架にかかる前日、最後の晩餐で、イエスはパンをとり、賛美の祈りを捧げて弟子たちに仰せになりました。「取りなさい。これはわたしの体である」。(マルコ 14・22)
また「記念としてこれを行いなさい」(参 ルカ 22・19)とも。これを文字通り実行した初代の教会では「パンを裂く式」と呼ばれ、今は「ミサ」となりました。
小麦で作られたパンは、司祭の言葉で本当にイエス・キリストのお体に変化します。
神の言葉だからです。
私たちはこのパン、つまり「ご聖体」を拝領すると、神ご自身を食することになります。これほど大きな奇跡が現代まで脈々と続き、私たちを強め、励まし、豊かに満たしてくださっています。