

私の生まれ育ったところは東北の城下町、
母は二人の子供を東京の大学に入れたいと思っていました。現在では地方でも可能ですが、当時は、本当に良いものを見て、聴いて、学ばせるには、やはり日本の中心部でと思ったのでしょう。
母の私たちへの思いは、たくさんの本物を見て、豊かな感性を持ち、自由に選択し、各々の使命を全うしてほしいと願っていたに違いありません。しかし、家はそれほど裕福ではありませんでした。
そんなとき、ある日父が「女学校を建て直すため、取り壊しているところを見た」と母に話しました。
母はすぐにその女学校の廃材を安く買いとり、裏の畑に運び込みました。そして、大工さんに頼んで、その廃材で家を建て始めたのです。
近所の人たちは、木材が古いので、家の裏に小屋でも建てて動物を飼うのかと思っていたようですが、完成すると、なんと四世帯が入居できるアパートができたのです。それは、真新しいアパートのようでした。
その頃母は、家族の邪魔にならないことを・・と、書道を習い始め、 五年ほどで「
生活費は父の給料で賄い、アパートの家賃と書道教室での収入を、私と弟の学費や生活費に充てることで、私は埼玉にある女子大に、弟は農大の造園学科に入学できました。
私たちは、大学で自由に豊かな感性を磨き、卒業しました。
母は廃材で作ったアパートの半分で書道教室を続け、弟が造園業で独立した時、後の半分を取り壊して庭師たちの休憩所になりました。
捨てられたものから豊かなものを生み出した、今は亡き母に、心からありがとうと伝えたい!