

「少し多く作りすぎたから、食べてくれる?」
子どもの頃、近所のおばさんが時折、器に入れた煮物を持ってきてくれました。手料理だけでなく、「いただきものだけれど」と、普段は口にできない珍しいお菓子を分けてくださることもありました。その日の夕食や一家団欒のひとときに、それらを家族で分け合いました。量は決して多くありません。
一人一口ほどでしたが、不思議と食卓の会話が弾んだことをよく覚えています。母もまた、ときどき、ご近所へお裾分けをしていました。私もそのお使いを頼まれたものでした。
当時、決して貧しかったわけではありませんが、今ほど物にあふれた時代でもありませんでした。そんな日常において、お裾分けは日々の中のささやかな嬉しい出来事でした。また、ご近所の温もりを感じさせ、心を豊かにしてくれるひと時でもありました。
分かち合えば、一人分の量は減るかもしれません。しかしその分、喜びや心の豊かさは大きくなるのです。お裾分けとは、心豊かに生きる秘訣なのかもしれません。
イエスもこう教えておられます。「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる」(ルカ 6・38)。
寛大に与える者は、与えた以上の恵みを「あふれるほどに」受けると約束されています。お裾分けとは、まさにこの福音の精神を日常の中で生きる姿ではないでしょうか。
お裾分けは食べ物に限りません。自分の喜びや時間、心遣いもまた分かち合うことができます。人と分かち合うとき、私たちはより豊かに生きることができるのではないでしょうか。