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豊かさ―大根を刻む―

古橋 昌尚

今日の心の糧イメージ

 本当の豊かさとは、世間で一般的に言われる物質的な豊かさを超えるところにあるように思います。
 人間的な豊かさに満足できない心、むしろそこに真の豊かさを感じるのです。

 苦しむ人々から解放を願う心、自分の幸せだけに満足できないこと、隣で悲しむ人に寄り添う、自分の苦しみを絶対化しない、それが自然に向かう心の傾きとなります。

 聖人たちは自らの限られた生活圏で、日々一つ一つの場面で人々に心を砕き、祈り、思いを託し、それでもやり過ごすことができずに、自ら犠牲を捧げる道を選びました。

 そのひとつの表れが苦行でした。断食や痛みを生み出すことに自らを委ねたのです。
 安閑とした生活に甘んじてそこに居座ることができずに、自ら苦しみを選びとって、それをキリストの苦しみに重ね合わせようとしました。困難や苦しみにおいて神との関係を確認し、キリストとの一致を実感したのです。

 「自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられ*」たキリストに倣って、自らを無にしよう、賎(いや)しめようとする心の動きに、自然に共感するものがあったようです。*(フィリピ 2・7)

 実はこれは、私たちの日常でももちうる心の動きなのです。子どもたちへの願いが叶うようにデザートを抜いたり、お百度参りをしたりすることで、きっと誰かが自分の願いを叶えてくれるという思いは、普遍的な現象です。

 日々家族のために洗濯ものをたたみながら、家族や人々のことを深く思い祈る心、大根を刻むまな板の音に心をあわせて祈ること、そこに人の生き方の豊かさはあると感じます。

 イエスが人知れず馬小屋の飼い葉桶で生まれたように、神は隠れた行いに心をとめられる。そう信じるところに、これでいいという肯定的な促しが生まれてきます。