

七年前の夏、巡礼団の一員としてボスニア・ヘルツェゴヴィナへの旅に出た。
目的地は、聖母マリアが6人の子どもたちに現れた小さな村メジュゴリエ。ウィーンを経由し、まず隣国のクロアチアに二日間滞在してからボスニアに入るという日程だった。
初めて訪れる土地に胸を躍らせていたが 、いざクロアチアの空港に到着してみると、私一人だけスーツケースが紛失していることが判明した。
カラカラと虚しく回る手荷物コンベアを目に、頭が真っ白になった。これから約二週間、着の身着のままでどうやって過ごせばよいのだろうかと、不安が一気に押し寄せた。
とにかく必要な手続きを済ませ、空港を出た。ホテルに着くと、急いで着替えなどを買いに出かけた。巡礼の初日からショッピングとは、自分でもおかしくて笑ってしまう。
宿泊地は美しいビーチで有名なリゾート地だったので、売っているのはどれも巡礼者に似合わぬものばかり。慌てて揃えた服に身を包んだ私は、巡礼団の中では浮いてしまっていた。
部屋に戻ると、今度は巡礼仲間から次々と「支援物資」が届いた。使い捨ての下着、生理用品、Tシャツ、化粧品......。ベッドいっぱいに広がる品々を眺めると、一瞬にして億万長者にでもなったようだった。そして、皆の心遣いがあたたかくて、ありがたくて、涙がぽろぽろとこぼれた。
その後も国境を越えて旅を続けたが、四日目の夕方、紛失していた私のスーツケースが、ふとホテルのロビーに現れた。中身もそのまま、無事だった。巡礼団の責任者や現地ガイドの並々ならぬ尽力のお陰で、ようやく私の手元に戻ってきたのだ。
失うことによって、かえって豊かさの意味を知る。
忘れがたい旅の一頁となった