

子どもたちが小学生の頃、毎年学校の「里祭り」に出かけたものでした。親にも役割があてがわれましたが、おおかたの教室をめぐって子供たちの活動を楽しめました。
ある年1年生の教室に行くと、子どもたちがゲームをしていました。
どんなものかよく覚えていませんが、ゲームに参加すると景品にスーパーボールがもらえました。活気に満ちた雰囲気になじんだころ、ある男の子が繰り返しゲームに参加して、部屋を盛り上げているのに気づきました。
ポケットからは多様な色のスーパーボールが溢れ出しています。さらに両手で抱えはじめます。するとやっぱり、ボールが落ちて弾んでいきます。男の子はすぐさま取りに行こうと追いかけます。
でも、誰でも想像できるでしょう、一つを追ううちに次々と他のボールを落としてゆくのです。
今その時のシーンを思い出すと、笑顔になり、聖書の知恵文学であるコヘレトの一節が思い出されるのです。「片手を満たして、憩いを得るのは両手を満たして、なお労苦するよりも良い。それは風を追うようなことだ」。(コヘレトの言葉4・6)
この一節が、弾むスーパーボールを追いかける少年の記憶と重なってくると、嬉しくもなります。この忠告がこの少年の耳に向けられたものではないと知っていても。なにせ里祭りの景品や宝物を家にもち帰るのは、たしかに年に一度の楽しみであったのですから。
それでも少年のイメージとこの一節によって、モノが積み重ねられることで成功が
両手に満たされると、さらに欲と怖れを焚きつけることがあります。
他方で、