

イエスさまが十字架上での死を遂げる前、エルサレムにいるイエスさまのもとに、何人かのギリシャ人が訪れました。その時、イエスさまは次のようにおっしゃいました。
「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12:23-24)
ここでは、ご自分の十字架上での死を「栄光を受ける時」と告げられていますが、これに続いて、次のようにもおっしゃっています。
「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」(ヨハネ12:25)
私はこの言葉を次のように理解しています。つまり、自分の時間や能力などを自分自身のためだけに用いるのであれば、一粒の麦が一粒のままであるのと同じことです。
もちろん、自分自身のための休息やレクリエーションの時間も必要なことでしょう。しかし、自分の時間や能力を他の人のために用いるならば、そこには豊かさが満ち溢れるのです。
誰かのために自分の時間を
正直なところ、私自身はなかなか誰かのために時間や能力を与えつくすところまでは、至っていません。少々、難しい課題でもあります。しかし、さらにイエスさまはおっしゃいます。
「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。」(ヨハネ12:26)
誰かのために自分を明け渡す生き方こそは、イエスさまと共に豊かさの中に生きる生き方なのだと私は思います。