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根っこ

古橋 昌尚

今日の心の糧イメージ

 毎日徒歩で30分かけて通勤します。スーパーと小学校を抜け、田んぼや、野菜、林檎畑をしばらく進むと、丘に差しかかります。坂道を登ると、大きな公園が見えてきます。斜面を階段で上がり、見上げた先に十(メートル)をこえる桜の木が、空を背に枝を伸ばしています。

 ちょうど斜面と平面の境となる崖淵に(そび)えるために、その根っこの半分は露出しています。土が 雨 風 雪で削られているのです。根っこはあたかも筋骨隆々の肩がせり出し、地をがっしりと掴みかかるようにして四方に張り巡らしています。

 この公園は春には桜が咲き誇る地域の名所で、毎年人々の心を引き上げ、その美しさに酔わせてくれます。桜を眺め、味わい、写真に収め、シートを広げて花見に興じます。一週間ほどするとまた花吹雪を舞い散らせ、命の儚さにそこはかとない親しみを懐かせます。

 ある朝、こうした外見の美しさや地上での楽しみをよそに、私たちの目にふれないところで肝心な役割を果たしている根っこが、必死に地を摑むあり様を目の辺りにして、軽い衝撃を受けました。
 桜の根っこが地に張り巡らす凄まじい様子に、生命力の発現を垣間見たのです。

 それ以来、その生きざまに圧倒されています。

 この生命力を連想させるのは、さしずめ水球選手が水面下で必死にもがく脚のばたつき、そして冬季オリンピックの璃来龍ペア、璃来さんを際立たせるために下支えした龍一さんの踏ん張りといったところです。

 目に見える世界や私たちの現実の生活があり、他方でそれらを支え養ってくれるものがある。
 隠れているけれど、実は肝心なもの。
 それらが日々の私たちの生活、社会や人間関係、霊的な生活を必死につなぎ止めている。
 それらに、改めて感謝したい思いです。