

私たちの心に目を向けると「明鏡止水」(めいきょうしすい)の言葉のように、邪念なく澄み切った心の状態、わだかまりや偏見などがなく、とても落ち着いた状態の時もありますが、あっても長くは続かないでしょうか。
水も透き通って底まできれいに見える鏡のような池に、石を投げ入れた時のことを思い浮かべてみましょう。ドボン...と石が池に入って、そこから丸い輪が幾重となく広がってゆき、石は池の底の泥を掻きあげ、水は泥水となって池の中が見えなくなります。
私たちの心は、そのような状態が多いかも知れません。波立っていることや池の泥水の泥に気を取られてあたふたして波立ちをさらに大きくし、泥いっぱいにしてしまうこともありますね。
しばらくじっとしていると、波が静まって元のようになり、泥も底に沈んで、水も透き通っていきますが、それを待つのは難しい私たちなのかもしれません。嫌な気持ち、怒りの気持ち、悲しみなど、感情に振り回されると、心がおだやかになるのは難しいでしょう。
でも気持ちに振り回されず、独り静かに留まることができるなら、心おだやかに過ごせるようになります。どのようにすればそのようにできるかは、それぞれ自分に合ったものを見つけることが必要です。
自然を眺めたり思い浮かべたりするのも良いでしょうし、私たちを見守って下さるお方を想い、心を向けるのも良いかも知れません。見ることや感じることはできなくても、すぐ近くにおられることを想って独り静かに留まるとき、心おだやかになっていくことでしょう。
自然や神に心を向けて静かに時を過ごす。日常の生活の時の中で、そんな時を持てればどんなに良いことでしょうか。
どうかそのような時を、持つことができますように。