

教皇フランシスコは憐れみの教皇でした。その正式なモットーは「憐れみ、そして選ばれ」というものでした。
イエスが徴税人マタイを憐れんでご覧になり、弟子に選ばれたという一節を思い出します。2016年にフランシスコは特別聖年を宣言し、在位期間中このテーマに繰り返し触れています。しかし私は、その死後になって、教皇の言葉が思い出されてきたのです。
今年の2月、フランシスコは米国の司教たちに珍しく政治的な手紙を送り、政府による本国送還を批判します。一人ひとりの人間の尊厳、人権の重要性、移民の世話についての教会の社会教説を力説しながら、移民という立場に基づくだけで人々を犯罪者扱いする行いを非難します。移民の孤立無援の状況に眼を注ぐよう促すのです。
フランシスコはさらに政治的指導者らの間に流布しているキリスト教の愛についての誤った考え方を正しました。
かれらはキリスト教の伝統は、まずは家族の愛、次に周りの隣人への愛であると教えていると指摘します。ところが、フランシスコはあえてルカ福音書の善きサマリア人の譬え話をとりあげます。(10・25~37)
この譬え話の引用は、「己を愛するように隣人を愛しなさい」という神の教えを持ち出す人の問いかけから始まります。それでは「わたしの隣人とはだれですか」と。
イエスは応えて、半殺しの目に合った旅人の話を始めます。その人は近しいはずの人々にではなく、驚くことに軽蔑されていたサマリア人という
教皇フランシスコの単純なメッセージは、イエスが「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカ10・37)と諭した言葉を響かせています。