

新しい生活の匂いがあちこちにしている、そんな季節ですね。拠り所とゆとりを持っていきたいものです。
私たちは拠り所がないと行き詰ってしまい、生きていけません。
皆様はどこに拠り所があり、何故そこなのか?と考えることがありますか?
私の拠り所は、毎日の黙想でいただく神さまの「御言葉」です。
聖書の中の毎日の福音(良い知らせ)から受け取る私へのメッセージを「祈って、黙想し、恵みとして頂く」というこの繰り返しのうちに私の拠り所があります。
黙想には、まず60分間静かに祈れる環境と時間を確保します。
そして私の場合、黙想指導の神父様に教わった「神にすべてをゆだね心を開くための祈り」を唱えます。
次にその日の福音書を何度もよく読み、全体を把握します。
その中で私の心に引っかかる御言葉に集中して、どうしてこの御言葉に心が留まったのか?と、自分の心と向き合い、その反応を見ます。
ありのままの私をさらけ出して、なぜ?どうして?と自問自答を繰り返し、自己と対話をしていくうちに、自己中心的な思いから、神様の思いにハッと気づかされます。
そして、それが私の見つけた私だけへの神様からのメッセージだと気づくのです。それが自分の努力目標であり、意識して生活する具体的なものだったりします。そして、少しずつ努力することで、神様のみ旨に適った者となっていくのだと思います。
祈り方は人それぞれかも知れませんが、自分の思い通りになることを願うより、神様のみ旨に適う人になることを願うことが大事だと思います。
日々の黙想の中で、私の拠り所である御言葉に養われて、忍耐強く毎日鍛錬し、神様のみ旨に適う人になることを願い続けていけますように。