

叔母が帰天してもう30年近くなります。修道女を志願していましたが、当時は道を変えざるを得ない結核を患い、戦中生活の厳しい時を生き抜き、戦後検査技師として医療分野で働きました。
その叔母に会うのが苦手でした。と言うのは、優しく親切な叔母なのですが「もしあなたが神様の望みに反する事をしたら、即座に死ぬように神様にお祈りしていますよ」と、10代の私には怖い脅迫めいて聞こえる諭しだったのです。きっと何回死んでも足りない位の少年時代だったでしょう。今年90歳になっても未だ生きています。神様の望みには、数知れない程背いてきたのにです。
大人になって、その諭し言葉を直接言われませんでしたが、心の耳にはいつも聞こえていました。晩年、大変な病苦の中で叫び祈り、その人生を成し遂げた、と遠方で生活してた私も聞きました。
全ての人の愛の欠けた生き方を、自ら苦しみの十字架を背負って補った、イエスの真を生き抜く姿と重なって、叔母の生き様を思い出します。
その叔母が、広島で原爆を被爆して白血病に苦悩する宣教師に、検査技師として寄り添い、甥の私を紹介したのです。
病床から「お祈りしますよ」と言われた事も、何か重たく感じました。
数年後、私は様々な波風を経て修道生活の初誓願を立てる事が出来たのですが、当時退院していたその宣教師が祝いに駆け付けてくださり、「私が生きていて、あなたが誓願を立てられましたね」と、不思議な祝い言葉を告げられたのです。
その時、あっ、この神父さんは自分の命を捧げますから、この若者の生き方を全うさせて下さいと、祈られたと分かったのです。今更ながら、沢山の人々の真を捧げる生き方によって、自分の今がある事が身に沁みるのです。