聖書に「弱いときにこそ強い」という言葉があります(Ⅱコリント12・10)。私の好きな言葉の一つですが、どういう意味なのでしょうか。
弱い人ではなく強い人になりたいと思うのが自然でしょう。しかし、そもそも強さ、弱さとは何なのでしょうか。周りを見渡してみて、なるほど強そうに見える人、あるいは強がっている人はいますが、真に強い人なのかどうなのかは私には計り知ることができません。
どんな状況にあっても弱音を吐かない人でしょうか。そんな強気の人が実際にいるかどうかは別にして、日常生活の中で、むしろ私は何か自分の悩みや苦しみ、弱さを打ち明けてくれる人から、逆に勇気をもらい、つながりを感じていることに気づきます。私自身、自分の弱さも分かち合える人の存在こそ、ありがたい関係性だと感じます。
どんな人間にも弱さはあるはずです。もし私が誰に対しても弱さを見せられない、いつも強くなくてはならないなら、とても不自由でストレスもたまりそうです。ある意味、それは弱さを素直に出せない弱さと言えるかもしれません。弱さを容易にさらけ出してしまう人に対しても厳しくなるかもしれません。
人前で弱さを出せない、恥をかきたくない、失敗したくないというのは強さではなく、強がりです。強がらず自分の弱さや情けないところも見せてもいいと、等身大の自分でいられる時、私たちには安心感があります。それは、同じような弱さを持つ他者への共感、つながりを深めます。自分の弱さを知り、受け入れることこそ強さだと思えます。自分の弱さを真に知っている人は、他人の弱さや悩みにも寄り添うことができます。神の子イエスが人となられたのも、そのためなのです。