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はじめましょう

許 書寧

今日の心の糧イメージ

 20数年前、大阪にあるデザインの専門学校に入学し、念願の絵本コースを専攻することになった。

 授業の内容は新鮮そのもので、紙の選び方から始まる、製本に関する様々な知識や、それまで触れる機会がなかった版画、染色、エアブラシ、コンピューターグラフィックなどの実技を少しずつ身につけていった。そして気の合う個性豊かな仲間たち。実に楽しくて充実した学生生活であった。

 しかし、授業は全部が全部楽しいわけではなかった。中には私たちみんなを退屈させてしまうものもあった。

 イラスト技法という授業がそうであった。

 講師が名高いイラストレーターだけあって、当初はかなり期待を膨らませていたが、実際に始まってみると、来る日も来る日も単調な基礎練習ばかりさせられた。例えば、コンパスでいくつもの丸を書いてから、漫画家がよく使う、つけペンとインクでなぞっていくことや、細い筆で一つの米粒に「いろはにほへと...」を全て書き込むことや、全く同じ構図で何の変哲もない水滴を繰り返して描くこと...など。

 この出口の見えない練習に、私たちは何度も嫌気が差しては愚痴をこぼした。けれども、先生はいつも全く動じなかった。

 「何事も基礎が大事だよ。文句を言うより、さぁさぁはじめましょう!」

 やがて、私は専門学校を卒業し、絵の道へと進んだ。イラストを依頼される時に、よく編集者に、「あなたが描く線はとても安定していて、基礎がしっかりしている」と言われる。

 その都度、私は「さぁさぁはじめましょう!」に駆り立てられていたかつての日々を思い出す。

 恩師のことが大変懐かしく、感謝が尽きない。