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分かちあう

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 少年の頃から今日まで、色々の望みが泉のように湧き出してきます。

 森を散歩すれば、カラスしか鳴かないので鶯の音色が聴きたいなあ、と季節外れなのに、願います。近くの野川の散歩をしていると、雑草しか見えないので、あ、しまった、あの公園に行けば美しい薔薇が見られたのに、と思います。このように、私は人生の夢を自由奔放に追い求めて生きてきたようです。

 少年の頃、洗礼を受けて、神父様から「求めよ、さらば与えられん」という夢の持ち方を教えていただきました。この言葉が、10代、20代そして80代になりましても、私の人生の指針のようです。夢が実現しようがしまいが、とにかく泉のように夢と希望が勝手に湧き出しますので、最近は自分の心を抑圧しないように、心の流れを大切にしていますその方が生きる喜びが大きいからです。

 さて、欧米には勉強の為の旅でしたが、ロシアや南米へは好奇心から旅をしました。

 国内を含め、旅をすると色々の困難に遭遇します。しかし、その折々の危険な場面で私を助けてくださった現地の方々は、もとから知り合いだったわけではなく、見知らぬ外国人の私に暖かい愛をくださいました。

 「神は愛なり」という言葉がありますが、今から想うに彼らは、神様の愛を私に分けてくださったのです。

 当時の新聞には恐ろしい殺戮の場面が残っています。そんな政治環境の中で、外国人、それもどんな人物か分からない私を助けてくれたのです。これまでの様々な体験の中で、神様に祈り求める習慣が身に付いて人生が楽しくなりました。

 「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」という言葉を確信したのです。(マルコ11・24)