人生を徒歩での旅に例えると、見通しの良い平坦な道ばかりではありません。
道には高低差があったり、木々がおい茂る中をかき分けて進まなければならない時もあり、川や谷に行く手を阻まれたりもします。それでも道なき道を見つけ出し 分岐点で迷ったり回り道もしながら生涯の終着点まで歩き続けることが人生であり、その間に見た景色や経験がかけがえのない思い出となり、その人ならではの人生となって生涯を全うするのです。
旅の途中で眼前に大きな壁がそびえていたとしましょう。これまでどんな困難に出会っても自然の中なら自力で歩んでこられたのに、壁は誰かによって築かれた建造物です。
壁はよじ登って乗り越えるか、穴をあけて潜り抜けるか、壁に沿って何処までも行くのかしか手は無いでしょう。
壁は何時誰によって築かれたのかを確かめることから始めなければ道は見つからないでしょう。壁の向こうはどんな様子なのでしょうか。壁の存在によって自分以外の人間が必要になりました。訊き、相談し知恵を借り、助けてもらわなければならないことも出てくるでしょう。他人とどの様に関われば良いのか、大きな壁の存在によって厳しく問われることになります。
行く手に開ける道を一歩づつ踏みしめ前へと進む人生は、例え困難があっても自己責任で対処しますが、他人から仕掛けられた困難に対処するには心構えが必要です。
ゆるす心、寄り添い愛する心があれば、信頼が生まれ助け合いが成立します。人々が共通の願いを心に祈るなら、神様は必ず聞き届け、救いの手を差し伸べてくださいます。
世界の至る所に大きな壁がそそり立つ今、聖書を紐解き神が望まれる人類について黙想しましょう。