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大きな壁

古橋 昌尚

今日の心の糧イメージ

 聖書の物語は実に深く、多くのことを教えてくれます。ところが、ときにそれは「大きな壁」として私たちの前に立ちはだかります。

 放蕩息子の譬え話にしても、学生は登場人物の心理的な動きに興味があり、譬え話のメッセージは別のところにあると言われても、フラストレーションをおこすばかりです。(参:ルカ15章)

 大方は平等に取り扱われない兄に共感します。父に忠実な兄が、宴会も開いてもらえず怒るのは当然で、不憫だ。不満を漏らすと、お前はいつも共にいるから、と言われて可哀想。

 弟は自由に遊び回って、困ったら家に戻って親頼みという身勝手。人生好きなように生きた方が楽でいい。

 一番悪いのは父親で、兄弟への不平等な態度はけしからん。弟には甘すぎてかえってダメ人間にしてしまう。その教育は根本的に間違ってる。

 議論はまったくもって腑に落ちない話へと白熱します。イエスには私たちの感じ方がわからない、兄弟がいないからだ。しまいにはだからイエスは好きじゃない、と言いだす者も出てきます。これは譬え話だから、とやたらへたな解説は、火に油を注ぎます。

 放蕩息子の譬えは福音書の金字塔、聖書にあってそそり立つ記念碑、神の心の寛さについて語った福音です。ところが、学生たちにとっては到底納得のいかぬ話、議論の進展を遮ってそびえ立つ壁。私にとっても一時停止を呼びかける警笛で、学生たちのうちに働く神の声に、いま一度耳を傾けるよう促してくれる物語です。

 それでも、学生たちが物語をナイーブに受けとるのではなく、現実の世界に引き寄せ、自分の生活に結びつけて読むことができるのは、喜ばしくもあります。

 なにより・・・・・・、授業で白熱するのが救いです。