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扉を開ける

コリーン・ダルトン

今日の心の糧イメージ

 子どもの頃過ごしたボストンでは、お正月休みを特別に意識したことがありません。冬休みはクリスマスの直前に始まり、普通は元旦に終わります。クリスマスは家族の休日で、大晦日は人によってはデートの日ですが、私たちには学校や仕事に戻る前にリラックスする日となります。

 元旦はたしかに祝日です。でもマリア様のお祝い日としてミサに出かけた後は、ゆったり休息をとり、翌朝からの忙しい普段の生活に戻るために備えます。新年の抱負や、来るべき年に新たなページを開くことについて話すこともありますが、私の経験では、真剣な決意をもって誓いを口にするといったことはありませんでした。

 窓から一月の雪と氷を眺めながら、新たな扉を開いて未来に足を踏みだそうという気には到底なれませんでした。

 ところが、日本も一月は同じくらい寒いのですが、人々の挨拶から違う印象を受けました。

 「明けまして、おめでとうございます」。

 この挨拶を初めて聴いたときに連想したのは、日本語のレッスンで習う「あける」という言葉でした。この言葉の例文には「扉を開ける」が含まれています。

 「扉を開ける」、その気持ちはなぜか暖かなものです。未来が明るくなると保障されていたからとか、人々がそう願ったからということではありません。暖かく感じるのは、扉を開けると、そこに私たちが家族や友人とともに集っているからです。

 私にとって1月は年間暦の始まりにふさわしい月ではない、という思いはいまだに拭えていません。春の芽吹きは地中に眠ったままで、空気中に希望が立ち昇っているわけでもありません。それでも、まさにこの一月こそ、私たちがともに集い、互いを迎え入れて挨拶し、新年の扉を「あけて」祝う必要があるのです。