「壁」とは何だろうと考えた時、「無縄自縛」(むじょうじばく)という言葉を思い出しました。仏教用語で、「縄もないのに、みずからわが身をしばること。迷者は迷いに、悟者はさとりにとらわれて、自由になることのできない状態をいう」そうです。
確かに、人生にはいろいろな困難や苦労がありますが、それを否定し越えなければならないと考えることも一つのとらわれであり、それこそ大きな壁のように感じます。
「悟者がさとりにとらわれる」とは、私にとって新しい気づきでした。結局、自分中心の物差し、良し悪しの基準が自分を縛る現実をあらためて考えさせられます。
最近、「マインドフルネス」という言葉をよく聞きます。それは、「今という瞬間や体験に注意を向けて、それをありのままに受け入れるということ」です。
私たちは、不快な状態や感情をあってほしくないもの、あってはならないものと考えがちです。逆に、心地よく良いものであっても、それを放すまいとすると、そこに不自由さや執着が生じてしまいます。しかし、人間として自然なものとして受け止めることができるなら、自分勝手な価値判断やとらわれからも解放され、自由になれるように思います。
私は、他人との比較の中で苦労が多かったとは思っていませんが、自分の受け止め方によって、随分要らぬ心配や悩みでふり回されてきたと、これまでの自分をふり返っています。
そもそも人生とは天気のようなもので、晴の日もあれば雨の日もある、嵐が来て過ぎ去る、そのようなものだと受け止めたいと、私は思い直すようになりました。今も、いろいろなとらわれがありますが、そんなありのままの私をも慈しんでくださる神様に委ねていきたいと思うのです。