マザー・テレサの修道会のお仕事の一つに、貧しい人たちへの炊き出しがあります。日本なら、さしづめ、おにぎりとお味噌汁、外国ならパンとスープを、列を作って並んでいる空腹を抱えた人達に渡してあげるお仕事です。
夕方、仕事を終えて修道院に戻ってくるシスター達をねぎらいながら、マザーはお尋ねになります。「スープボウルを渡す時に、ほほえみかけ言葉がけするのを忘れなかったでしょうね。手にふれて、ぬくもりを伝えましたか」。この問いかけは、仕事は、ただすればよいのではない、その仕事には愛が伴っていなければいけないことへの忠告でした。
マザーの次の言葉も、それを裏書きしています。「私達の仕事は、福祉事業ではありません。私達にとって大切なのは、群衆ではなく、一人ひとりの魂なのです」
朝から何も食べていない一人ひとりは、同時に、朝から誰からも「人間扱い」されていなかった人たちだったのです。仕事は、ロボットでもします。シスター達よりも、むしろ効率的に手早く仕事をするかも知れません。しかし、ロボットにできないこと、それは、ボウルを受け取る一人ひとりの魂と向き合い、その魂に潤いを与え、生きていていいのだという確信を与えることでした。
シスター達のほほえみ、言葉がけ、ぬくもりは、相手がその日受けた唯一の人間らしい扱いとなったことでしょう。
忙しさは、その字のごとく人々の心を亡ぼし、慌ただしさは心を荒らす可能性を持っています。ギスギスした社会、イライラした人の心は、渇き切っていて、潤いを求めています。
私達も日々の小さなことに愛をこめることによってお互いの間に潤いをもたらしたいものです。
*アーカイブスを再収録しました